私が訪問診療クリニックで働いていた時の思い出です。
もっと在宅医療にかかわりたいと思わせてくれた経験であり、訪問ナースとしてやっていきたいというモチベーションの土台です。
訪問診療クリニックでの看護師の役割はクリニックそれぞれで違うものですが、私は看護師兼コーディネーターとして病院や地域医療関係者との連携業務を行っていました。訪問診療に申し込まれた患者さんのご自宅に最初に伺って、訪問診療を開始する手続きなども行います。
ある10月の初めに、連携している病院から在宅に帰った患者さんの紹介がありました。70代の女性である癌の末期とのこと。訪問してみると笑顔が素敵な明るいご夫婦で、奥様が癌になり手術や抗がん剤治療など一通り頑張ってきたけれど、もうできることがないからご自宅で過ごしなさいと言われ訪問診療を紹介されたそうです。そんな話をご夫婦とも明るく話していて、もちろん普通に動くこともできていて…本当に末期?訪問診療が必要?と思いながらも訪問診療の契約を行いました。
お宅の庭にみかんの木がありました。いつもその木の下に訪問車を止めていました。訪問を開始した10月はまだまだ実が青かったのですが、11月、12月と少しずつ熟していきます。12月のはじめに「まだ酸っぱいけど」とご主人が数個のみかんをもいでくれました。本当に酸っぱくて…
その酸っぱいみかんをいただいたころには、奥様は食事がとれなくなっていて、ほぼ毎日自宅で点滴をするようになっていました。痛みには麻薬を使っています。居間の真ん中にお布団を敷いて一日中横になっていました。トイレやお風呂はご主人が担ぐようにしてお手伝いしています。そのころには離れて暮らしていた娘さんがお子さんを連れて連日泊まりに来ていました。ご主人と娘さんも明るい方たちで、居間で寝ている奥様を中心にしながらいつもの生活を送っているという感じでした。奥様は意識がしっかりしていたので、ときどき「迷惑をかけるから病院に入院した方がいいんじゃないか」「不安になってくるの」と訴えてきます。そういうとご主人は「だめだ、入院したら顔が見れなくて俺が心細いから」と言います。「夜中に急にうどん食べたいっていう事があるだろ?ちょっとしか食べられなくても俺が作ってやれるだろ。食べたい時に食べて、眠い時に寝て、病院じゃそういうわけにいかないんだから」と心強い言葉で奥様を支えていました。
そんなご主人や娘さんはというと、訪問を終えて帰る私を見送りに外にでてから「これからどうなる?急に具合悪くなったら、救急車を呼べばいいのか?」と、やはり不安を訴えます。車を置いたみかんの木の下で、ご主人や娘さんの気持ちを聴きながら、予測されるであろう経過をお伝えします。苦しむのだろうか、いよいよの時はどうしたらいいのか、自分たちはどうしたらいいのか・・・そして結論は「最後まで看てあげたい。近くにいたい」という一番の願いをかなえていこうというところに至ります。
揺れ動きながら、不安を抱えながら、みかんの実が甘くなる12月の末に奥様は自宅で息を引き取りました。数日前から朦朧としてる、もう何も口にしない、昨日から呼吸がゆっくりになってる、もう返事をしない…など連絡が来ました。時間を作っては訪問に行き、もう間もないであろうことをお話しして心の準備ができるようお手伝いしました。そして娘さんから涙声で「今ね…呼吸が止まったみたい」という連絡。「これから伺いますが、慌てずにそばにいてあげてください」と伝えお看取りに行きました。
ご主人が意識のない奥様の手を握りながら、娘さんやお孫さんといつものように口喧嘩をして笑いあっている中、ふと見ると呼吸をしていなかったそうです。でもそのお顔は、にぎやかな家族の声の中で微笑んでいるようだったそうです。
生き方も逝き方も人それぞれで、家で最期を迎えたい人もいれば不安や家族の負担を考えて病院で過ごす人もいるでしょう。その過程の中で揺れ動いたり、不安が大きくなったり、パニックになることもあります。自宅で過ごすという決意を持っていても、その決意を後悔することもあれば「本当にこれでいいのか?間違っていないか?」と思い悩むすることもあります。そしてどんな逝き方であっても後悔は残るものです。でも「お母さんったら、笑いながら逝っちゃったよ」と、これも泣き笑いしながら話す娘さんをみて、その人らしさやその家族らしさを支えられたのかなと思いました。
病院ではなく、在宅や施設で最期を迎えることも増えています。しかしどこで最期を迎えようと、ご本人や看取る方たちができるだけ納得できることが大切で、その支援が私たちの仕事だと思っています。