訪問ナースまでのわたしの軌跡を振り返ってみる

四半世紀以上の大学病院勤務

驚かれますが、私は新人ナースとして入職してから26年ものあいだ大学病院で勤務した後スッパリ辞めました。もちろん四半世紀どころか生涯大学病院勤務の人も多くいらっしゃるので、決して26年間勤めたというのは珍しいことではないと思います。が、皆さんが驚くのは、きっとそれだけ長い間大学病院にいて、なぜその歳になってなって辞めたの⁉︎ということでしょう。

正直、辞めた理由はたくさんあるのだけど、一言で言えば「新しい景色を見たくなった」といことのような気がします。新しい景色をみるというより、新しい景色の中で暮らしたくなったという事かな。

新しい景色がどんな景色で、どこにあって、ちゃんとそこに行けるのかもわからない漠然とした状態でしたが、やはり勢いというか人生のタイミングというか、ただの暴走というか…笑。残りの看護師人生をもっと楽しむためには、まだ頭も体も元気なうちに動こうと思った次第です。

初めて在宅療養に関わったのは

慢性呼吸不全の患者へのHOT(在宅酸素療法)が保険適用になり、私の勤める大学病院の内科でもHOT導入に向けた患者教育などに力を入れるようになりました。その時の師長が進めたのが、導入後の患者さんへの訪問看護です。でもその訪問看護を行うのは、なんと導入指導した「病棟看護師」。なぜ病棟看護師が訪問看護を行うのか。病棟勤務中に病棟の仕事を抜けて訪問するなんて。・・・正直、今でも疑問です。もちろんその当時も賛否両論で、とりあえずやってみようという感じでした。結局定着することなく数年で終了することになりましたが、このHOT導入患者の退院後訪問を行なったのが原点になったと思います。

患者さんのご家庭に伺って、酸素をしながら家族と共に療養生活を見て、生き生きとした表情や様子を見て、私の「患者さん」の見方はすっかり変わりました。「患者さんの背景を見て…」とか「全人的に捉えて」とか学生の頃から勉強してきました。わかっていたつもりでしたが、本当はわかっていませんでした。

患者さんではなく社会の中で生活している人

病院の白い壁をバックにパジャマを着てベッドにいるAさんは、本当は自宅の居間で子供に笑顔を向けているお父さんでした。

病院の白い壁をバックにパジャマを着てベッドにいるBさんは、本当はコタツでおばあちゃんと一緒にお茶を飲んでいるおじいちゃんでした。

病院の白い壁をバックにパジャマを着ているCさんは、上げ膳据え膳の病院とは違って、ご飯を作って「お昼ご飯、食べていきなさいよ」と世話好きのおばさんでした。

表現するなら、それまでは病院の白い壁とパジャマの背景しか見えていなかったのが、その人を囲む背景に色がついて、まわりに家族が見えてくる感覚。そんなの当たり前でしょう、それまで患者をなんだと思ってきたのよ?と、突っ込みたくなる方もいるかもしれません。自分でもそう思います。自分では理解していたつもり、出来ていたつもり、看護してきたつもり…全然足りなかったなあ。

この体験がきっかけで、私の看護は変わったと思います。そこは自信を持って言えます。自画自賛になるのでこれ以上の主張は控えますが。

退院支援を行う中で、着々と在宅看護への思いは育つ

大学病院では入退院支援にも力を入れていました。退院支援をするなかで患者やご家族の思いを聞いたり、どう生活していくか考えたりしていく中で着々と私の思いも在宅看護の方向に傾いていきました。

退院支援の研修の一環で、訪問診療クリニックの体験実習に行かせてもらった時のことです。その訪問診療の先生の「孤独な老人を一人でも救いたい」という強いメッセージに感動しました。そして、病院以外の場所で「生きるを支える看護」をすることへの関心が高まりました。

大学病院で長く勤務していると、役割とこ責任とか多くなってきて、そう簡単にはやめられません。病院での仕事も嫌いではなかったので、なんだかんだ四半世紀も居座ってしまいました。

地域医療の場に身を置いて、いよいよ訪問ナースの道へ

在宅医療への思いは高まり、ようやく大学病院を退職したものの、思うような景色を見れないまま時間だけは過ぎ、いい歳をして居場所も方向性も見失い、何よりもお金も無くなって働かないとマズイとなったときに入職したのがとある訪問診療のクリニック。このクリニックで地域医療のことや訪問診療のことをだいぶ勉強させてもらいました。何でもやらなきゃいけなくて、わかりませんとか言っていられなくて、地域医療の現場で体当たりで学ぶことになりました。ハードだったけど、やりがいあって楽しかったですね。訪問診療クリニックで経験したことは、少しこのブログの最初の方に投稿しています。まだまだたくさんの事件(⁉︎)がありましたので、いつか投稿しますね。

どうして開業する道へ行ったのか

訪問診療クリニックの後は、地域密着の個人病院勤務です。ここでも退院支援に力を入れてきました。そして、いよいよ看護師人生も終盤になってくるので、やりたいことはやっちゃおう!という勢いで訪問看護ステーションの開業に進みます。何だか雑いです。結局いろんな経験と思いがあっても、最後は勢いです。

大学病院も汗と涙の26年間だったし、訪問診療クリニックも超ブラックでした。でもどんなところで、どんな仕事をしていても、仕事は楽しかったしやってきてよかったと心底思っています。組織の制約の中ではあるけれど、自分のやりたいことをやらせてもらえていたと思います。

でももっと自由に自分の好きなように自分の看護をしたい!ということに尽きるのです。

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