退院支援~自宅での生活は無理…って誰が決める?

高齢者が多く入院している地域密着型の病院で働いています。高齢者が病気やけがで入院すると、やはり何らかの退院支援が必要になります。入院した患者の生活背景や家族構成、介護者がいるのか介護力はあるのか、これまでの生活や介護保険の有無などなど、入院初期に情報をとり患者の病状や回復状況を見ながら退院支援を行っていきます。

少子高齢化が問題とされる中、当病院の患者ももちろん独居高齢者や老々介護の環境の方が多いです。老々介護というと高齢者ご夫婦という印象ですが、昨今は90歳代の父を介護する70歳代の息子という構成も珍しくなくなってきました。同居する家族がいても50歳代・60歳代はまだまだ働いている方が多く介護に力を入れられる家庭環境の方が少ないと感じます。病気やけがを機に、いよいよ施設入所を検討される方も増えてきました。

一方で、どうしても家に帰りたいと望む方も少なくありません。特に独居高齢者に多い印象です。これまで自分が好きなように生きてきた、今更不自由に過ごしたくないと思うのもわかります。

ある80歳代の独居の男性、脳梗塞で半身まひになり食事も特別形態食のものしか飲み込めません。生活保護で狭いアパートで生活しています。看護師もソーシャルワーカーも理学療法士も、そして区のケースワーカーも「いや、一人で生活無理でしょ」と思いつつも、患者は「俺は家に帰る、施設はいや」と言い張ります。そこで新規で担当になったケアマネージャーを含めカンファレンスして自宅に帰る道を模索しました。病院スタッフが生活困難と思っていても、介護サービスを組み合わせればイケるんじゃないかという結論になりなんとか退院しました。課題はあるけれど、やってみなければわからないし、何より自己決定能力がある限り決めるのはご本人。

また別の80歳代男性、もともと複数の癌があるものの治療で進行は抑えられ日常生活を送ることができていました。でもいつ再発するかわからない状態のなか、たまたま転んで腰椎圧迫骨折して入院、幸い症状は軽く数日で歩けるようになりました。独居でしたが少し離れて暮らす息子さんがいて、介護保険も利用しているのでケアマネもついています。その患者は癌のこともあるので、出来るだけ自由に生活したいから早く退院したいと言います。私たちもそうしてあげたいと、ご家族やケアマネに連絡しました。しかし、その返事はというとケアマネから「今回の転倒と腰の痛みのことを考えて、ベッドを入れようと思います。息子さんとも相談し、いろいろ心配なのでしばらく入院させてください。ベッドを入れるのにも一か月くらいかかります」・・・いやいや、ベッド入れるのに1日あればできるでしょ。心配だから入院長引かせるって、本人の意思はどうなのよ・・・と思っていたら案の定ご本人が「なんで俺の生活を、息子と赤の他人(ケアマネ)が決めてるんだ~!!!ふざけるな、明日退院する!」と激怒。無事2日後に退院できました。

退院支援の要は、意思決定支援といえます。一番はご本人の意思が大事ですが、社会の中では家族という単位で生活しているので家族も含めた意思決定支援でなくてはいけません。意思決定には十分な情報が必要です。病状や予後の予測、どんな医療や介護が必要になるのかなど専門的な視点でお話しし、よく考えてもらう必要があります。

在宅介護のことを十分に理解できていない看護師が「え~一人暮らし無理でしょ」と決めつけてはいけません。患者の気持ちや病気のことをよく理解できていないケアマネが「すこしでも長く病院にいる方が安心」と思ってもいけません。決めつけずに、よく患者や家族と話し合ってみましょう。その人の人生なのですから。

退院支援~高齢者が怪我をするという事

高齢者の多い地域密着型の病院の急性期病棟で働いています。病院には医療連携室がありますが、退院支援に専任する看護師はいないので病棟看護師が退院支援の中心です。日替わり担当の中、チームワークで患者や家族、ケアマネージャーとやり取りをして患者が地域社会に帰れるようかかわっています。

入院してくる高齢者は、脳梗塞や誤嚥性肺炎、腰痛で動けなくなった人、転倒して骨折した人…つまり歳を重ねて何かしら体の機能が落ちてきたことに由来するものが多いのです。まあ、病気というものの多くは加齢や生活に由来することが多いものですが、高齢になるとちょっとしたきっかけで病気や障害が起こりやすい。

しかし誰でもそうだと思うけど、年を取ってきたことは自覚していても、まだ大丈夫でしょう、もう少し元気でいられるでしょうと思っているので介護の準備なんてしていな人がほとんど。「もう私だって年なのよ、そのうちお世話になるかもね。まあ、あと何年こうやって歩けるかしらね、ホッホッホ」と言ったそばから転んで足を骨折して救急搬送。歩けなくなるのはあと何年ではなく、次の瞬間だったりする。今は100歳のおばあちゃんでも希望があれば手術をする時代、骨折して運ばれたおばあちゃんは必至でリハビリしつつも、なかなか骨折や手術の衝撃と数日といえど寝たきり期間のおかげでトイレに行くのもままならない。

でも患者の家族の多くはこう言います。「歩けるようになってもらわないと困る」「入院する前と同じに戻ってもらわないと困る」

わかります。確かに急に介護が必要と言われても困るでしょう。でも、本来急なことではないんです。「たまたま転んで骨折した、それまでは普通に暮らしていたんだから、手術して元に戻してくださいよ」…たまたま転んだんではなく、転びやすいほど体力は落ちていたんです。普通に暮らすのも歳を重ねれば難しくなります。入院しても手術しても日々歳をとるんです、元に戻ることは難しいのです…急に歳を取って転んだかのように受け止めて、手術したら転ぶ前の若さに戻るかのように要望する。でもその気持ちはわかります。そんな不幸なことが自分や家族の身に、今、起こるなんて思って暮らしていないですから。いつかはあるかもっていうくらいには思っていても。

70歳になろうと80歳になろうと、元気なうちから介護を受ける準備をしていない人がほとんどで、たいていの人は介護保険をどうやって利用したらいいか知らないことが多い。高齢者が骨折して入院した場合、私たちはその入院の手続きの日に「治療しても元の体力に戻れないことが多いので、入院中に介護の準備をしておいてください」と説明します。介護保険は申請してから使用できるようになるまで一か月かかります。患者がリハビリを頑張って、結果介護が必要なくなっても、介護の準備をすることは無駄にはなりません。どうせいつかは必要になるのですから。

でも、できるなら元気なうちから高齢者支援センターなどの機関に相談に言っておくことが望ましいです。特に単身高齢者や高齢者夫婦のかたは、何かあった時にすぐ相談できる準備をしておくのが安心です。離れて暮らすご家族がいる場合も同様です。

なかなか自分が高齢者であることを自覚するのは難しいですけどね。

在宅看護~みかんの木のある家の記憶

私が訪問診療クリニックで働いていた時の思い出です。

もっと在宅医療にかかわりたいと思わせてくれた経験であり、訪問ナースとしてやっていきたいというモチベーションの土台です。

訪問診療クリニックでの看護師の役割はクリニックそれぞれで違うものですが、私は看護師兼コーディネーターとして病院や地域医療関係者との連携業務を行っていました。訪問診療に申し込まれた患者さんのご自宅に最初に伺って、訪問診療を開始する手続きなども行います。

ある10月の初めに、連携している病院から在宅に帰った患者さんの紹介がありました。70代の女性である癌の末期とのこと。訪問してみると笑顔が素敵な明るいご夫婦で、奥様が癌になり手術や抗がん剤治療など一通り頑張ってきたけれど、もうできることがないからご自宅で過ごしなさいと言われ訪問診療を紹介されたそうです。そんな話をご夫婦とも明るく話していて、もちろん普通に動くこともできていて…本当に末期?訪問診療が必要?と思いながらも訪問診療の契約を行いました。

お宅の庭にみかんの木がありました。いつもその木の下に訪問車を止めていました。訪問を開始した10月はまだまだ実が青かったのですが、11月、12月と少しずつ熟していきます。12月のはじめに「まだ酸っぱいけど」とご主人が数個のみかんをもいでくれました。本当に酸っぱくて…

その酸っぱいみかんをいただいたころには、奥様は食事がとれなくなっていて、ほぼ毎日自宅で点滴をするようになっていました。痛みには麻薬を使っています。居間の真ん中にお布団を敷いて一日中横になっていました。トイレやお風呂はご主人が担ぐようにしてお手伝いしています。そのころには離れて暮らしていた娘さんがお子さんを連れて連日泊まりに来ていました。ご主人と娘さんも明るい方たちで、居間で寝ている奥様を中心にしながらいつもの生活を送っているという感じでした。奥様は意識がしっかりしていたので、ときどき「迷惑をかけるから病院に入院した方がいいんじゃないか」「不安になってくるの」と訴えてきます。そういうとご主人は「だめだ、入院したら顔が見れなくて俺が心細いから」と言います。「夜中に急にうどん食べたいっていう事があるだろ?ちょっとしか食べられなくても俺が作ってやれるだろ。食べたい時に食べて、眠い時に寝て、病院じゃそういうわけにいかないんだから」と心強い言葉で奥様を支えていました。

そんなご主人や娘さんはというと、訪問を終えて帰る私を見送りに外にでてから「これからどうなる?急に具合悪くなったら、救急車を呼べばいいのか?」と、やはり不安を訴えます。車を置いたみかんの木の下で、ご主人や娘さんの気持ちを聴きながら、予測されるであろう経過をお伝えします。苦しむのだろうか、いよいよの時はどうしたらいいのか、自分たちはどうしたらいいのか・・・そして結論は「最後まで看てあげたい。近くにいたい」という一番の願いをかなえていこうというところに至ります。

揺れ動きながら、不安を抱えながら、みかんの実が甘くなる12月の末に奥様は自宅で息を引き取りました。数日前から朦朧としてる、もう何も口にしない、昨日から呼吸がゆっくりになってる、もう返事をしない…など連絡が来ました。時間を作っては訪問に行き、もう間もないであろうことをお話しして心の準備ができるようお手伝いしました。そして娘さんから涙声で「今ね…呼吸が止まったみたい」という連絡。「これから伺いますが、慌てずにそばにいてあげてください」と伝えお看取りに行きました。

ご主人が意識のない奥様の手を握りながら、娘さんやお孫さんといつものように口喧嘩をして笑いあっている中、ふと見ると呼吸をしていなかったそうです。でもそのお顔は、にぎやかな家族の声の中で微笑んでいるようだったそうです。

生き方も逝き方も人それぞれで、家で最期を迎えたい人もいれば不安や家族の負担を考えて病院で過ごす人もいるでしょう。その過程の中で揺れ動いたり、不安が大きくなったり、パニックになることもあります。自宅で過ごすという決意を持っていても、その決意を後悔することもあれば「本当にこれでいいのか?間違っていないか?」と思い悩むすることもあります。そしてどんな逝き方であっても後悔は残るものです。でも「お母さんったら、笑いながら逝っちゃったよ」と、これも泣き笑いしながら話す娘さんをみて、その人らしさやその家族らしさを支えられたのかなと思いました。

病院ではなく、在宅や施設で最期を迎えることも増えています。しかしどこで最期を迎えようと、ご本人や看取る方たちができるだけ納得できることが大切で、その支援が私たちの仕事だと思っています。