地域密着病院の急性期病棟で働いています。二次救急で搬送され入院してくる患者さん、圧倒的に高齢者が多い。病院あるあるだと思いますが、今や60代70代は「若い」、80代でそこそこ老人感はあるものの自分のことは自分でできるレベル(ADL自立という)の方が多い。90代でも癌の手術はするし、もちろん歩いて自宅退院して生活を続けていく方も少なくはない。
100歳超えていたって、足の骨折を手術してリハビリをして退院することもあります。今回は103歳で大腿骨を骨折して入院した女性のお話です。
もちろん「治療をするか、手術をするか」なんて年齢で区切るわけではありません。これまでの生活レベルや認知症の程度、治療や手術をすることのメリットとデメリットを考えて検討します。そこで大事なのは本人や家族の意志ですが昨日転んで足の骨を折るまでトイレに自分で行けていた人が、今日から寝たきりになるという選択をすることはないですよね。100年生きてきたから、もう痛い思いしたくないわぁ…って思う人は多いけれど、骨折して寝返りもできないほど痛いのだから何とかして~…と思う方が普通です。もちろん2週間も安静にしていれば骨折したままでも炎症が落ち着いて痛みも少なくなりますから、車いす生活レベルでいいなら手術をしないという選択もできます。
さて大腿骨の骨折で入院した103歳のKさん、物事をはっきり言う少し口の悪いおばあちゃん。娘さん2人は70代後半、家族仲はとても良いようですがそれぞれの生活を考えてKさんは有料老人ホームで生活していました。103歳でも認知機能はしっかりしていて、手押し車を使ってトイレにも行けていたそうです。本人も娘さんも手術をして、元の生活に近い状態に回復することを望みました。そして手術はうまくいき、大きな合併症もなく翌日からリハビリが開始されました。
痛いとか看護師が優しくないとかトイレが我慢できないとか鳥の餌みたいなご飯がおいしくないとか、いろいろ文句を言いながらもリハビリをしていたKさんですが、ある日突発的に発熱しました。軽い脱水から膀胱炎を起こしたようです。ご飯まずいお茶もまずいと食べる量が減っていたことが原因です。幸い点滴をして熱はすぐ下がりました。しかしその発熱を境にKさんの様子が変わっていきます。
もともと文句を言いながらも食べていた食事を、ほとんど食べません。車いすに座って食堂に行こうと言っても黙ってそっぽを向きます。まったく活気がなくいつもの文句も出てきません。夜暗い中、天井をじっと見つめていたりします(巡視の時ドキッとしました…)。脳障害をうたがって検査もしましたが、特に異常はありません。
家族の面会の前に「今日面会ですよ、良かったですね」と声をかけると「こなくていいのよ」。面会中も目をつむったままでした。
Kさんは何も言いません。文句すら言わなくなりました。会話ができないわけではないし、意識レベルが下がったわけでも認知症の周辺症状が悪化したわけでもなさそうです。まるで感情というものを捨て去ってしまったような、そんな印象です。食事も食べられないわけではないのに、食べるのをやめてしまったかのようです。
少し昔、私が大学病院で主任になったばかりのこと、20年位前のことです(少しサバ読み)。入院してきたある企業の会長のMさん、たしか80歳代だったと記憶しています。食事ができなくなって入院し、いろいろ検査をしましたがこれと言って原因になる病気はありません。大学病院ですからあの手この手で状態を良くしようとしますし、ご家族も治療を強く望まれていました。Mさんは食事はとらないものの、ほかの介護は素直に受けてくれます。食事を摂るためのベッドアップは拒否するもののシーツ交換をさせてくれというとスムーズに車いすに移ってくれます。私は看護師長に医師の見解や検査結果やバイタルサイン、本人の言葉と家族とのコミュニケーションの内容と、そしていわゆるアセスメントを「いかにもデキる主任」らしく報告をしましたが、本当のところ何もわかっていませんでした。
私の報告をきいた看護師長は、「Mさんはもう生きたくないのよ。ちゃんとした立場の人だから人に迷惑をかけることはしないでしょう。シーツ交換を拒否したら看護師に迷惑をかける、でも自分のためにはもう何もしたくないんだと思うの。Mさんがそういう気持ちになってる、もう生きたくないと思ってる、そういうことをご家族に話してみなさい」
バリバリの大学病院看護師だった私には、衝撃的な見解でした。どんな患者でも良くなることを目標に治療したり看護したりするものではないの?よくならないこともあるけれど、そこに向かって進むことが正義ではないの??生きたくない、もう終末を迎えたいと思っていると、どうやって家族に話したらいいの???
今思うと看護師の傲慢な考えに固まっていたと思います。食べられるなら食べるべき…病院で治療や看護を拒否するなんて…と。Mさんが本当に生きることをやめたいと思っているのかどうかわかりませんでした。でもそう思っているのかもしれないと、Mさんの気持ちに家族が、そして私たちが寄り添うきっかけになり、Mさんの希望通り自宅へ退院していきました。
さて、今回の103歳のKさん。病院での治療は終わり、食事できないのは本人の意欲の問題だけだから老人ホームに退院しましょうという事になりました。家族は納得できない部分もあるようですが、病院というKさんにとってストレスフルな環境より住み慣れた老人ホームで自由に過ごせるほうがいいでしょう。103歳のこれからの希はなんだろう。半分くらいしか生きていない(またまたサバ読み)自分たちには想像もつきませんが、文句を言ったいたころにもっとちゃんと聴いていればよかったと少し後悔しています。
もしかしたら老人ホームのご飯なら食べるかもしれません。病院の食事は鳥の餌だと言っていたのですから。いまごろ文句言いながらご飯を食べてくれていればいいなあ。